皇太子殿下のご即位に伴う即位の礼(即位礼正殿の儀)が、
来年の10月22日に行われることになった。
この時、新しい天皇は高御座(たかみくら)に昇られて、
ご即位の旨を天下に宣明される。
この高御座は、平安時代以来の諸史料、
特に江戸時代の絵図類を参考にして、大正の初めに
復原・新造された。
歴史上、即位に当たって天皇が高御座に昇られたことを
明確に確認できるのは、平安時代から(貞観『儀式』、
『淳和天皇御即位記』など)。
更に、5世紀の雄略天皇の即位に際して「壇(たかみくら)」
が設けられたのが、史料上のタカミクラの初見だ。
高御座の「源流」は古墳時代にまで遡ると見てよいだろう。
現在、高御座は普段、京都御所に置かれている。
即位の礼挙行に当たり、わざわざ東京まで運ばれることになる。
ところが即位の礼で、天皇が高御座に昇られると、
首相が天皇を“仰ぎ見る”形になるのを問題視する声があるようだ
(朝日新聞3月31日付)。
憲法に定める「国民主権」に反するとか。
共産党は前例踏襲でなく
「国民主権…にかなった新しいやり方を作り出すべきだ」
(笠井亮同党政策委員長)などと主張している。
共産党は安倍首相を天皇陛下と同列に扱いたいのか
(その頃まで安倍氏が首相を続けているかはともかく)。
憲法では国会こそ「国権の最高機関」(41条)とされている。
その国会の開会式でも、天皇陛下は衆参両院議長より
“高い”位置におられる。
これは何故か。
天皇お1人“だけ”が「主権の存する日本国民の総意に」よって、
その唯一の「統合の象徴」(1条)とされているからだ。
憲法は国家の秩序において、主権者たる(統合された)
国民の唯一の表示者として、天皇を三権の長より上位に
置いているのだ(だから毎年、国事行為として行われる
「新年祝賀の儀」では三権の長らが順番に、“高い”位置におられる
天皇に対して、新年のお祝いを申し上げる)。
たがだか“内閣の長”に過ぎず、
天皇から「任命」(6条)される立場にある首相が、
即位の礼において天皇を仰ぎ見る形をとるのは憲法上、
むしろ当然だ。